「問いを立てる」ということ (その2)

以前、このブログで「「問いを立てる」ということ」という話をさせてもらいました。

あの時は、不都合や困難の原因をしっかり見極めないと対症療法になってしまい、問題の解決はできないという事を書かせてもらいました。

今回は同じ「問いを立てる」という題ですが、少し違った話をしたいと思います。

「問いを立てた」あとにはいったい何をすればよいのか? 簡単に言うとそのような話です。

皆さんは「なぜ」という言葉をどのようなときに使いますか?たくさん使いますか?それともあまり使いませんか?私たちは小さいころは「なぜ?」「どうして?」を連発して周囲を困らせていたはずです。「なぜ、ダメなの?」「どうして、こうなるの?」って具合にです。

大人になって「なぜ?」と言う機会が減ったと思います。もちろん、いろんなことを経験しわかってきたからこそ使わずに済んでいる場合もあるでしょう。しかし、「聞くのがはずかしい」とか「馬鹿にされるんじゃないか」「生意気だと思われるんじゃないか」「機嫌を損ねるんじゃないか」などの理由で言えなくなっていることも多々あると思います。そんな中で「ま、別にいいか」とせっかく立てた問いを放置してしまっていることはありませんか?

「問いを立てる」という事は、もちろん自分で「なぜ?」に気が付くことを言いますが、立てたあとにして欲しいことのひとつに「伝える」ことがあります。自分が立てた「問い」を人にきちんと伝えられるかも重要なポイントなのです。自分一人の考えなんぞはたかが知れています。しかし、人と共有することで自分が考えつかなかった、思いもしなかったことに巡り合えるかもしれません。
これは素晴らしいことだと思いませんか? 人と協力することでそれまでの自分を簡単に超えることができるのです。

「問い」を立てたなら「人に伝える」ことをしましょう。「なぜ?」と聞いてみてください。そして一緒にその「問い」を考えてみてください。そこには自分の知らない世界の入り口がきっとあるはずです。