本日は学校行事として「ふるさと堺探検隊」を実施しました。
この行事は、本校が堺市にあることから、歴史や文化のある町"堺"を知り、もっと"堺"に関心をもってもらいたという思いで実施しています。
毎年この時期に行っています。
学年やグループに分かれ訪問する場所は異なります。一例として以下の名所に訪問しました。
戦災無縁地蔵堂・旧堺灯台・呂栄助左衛門像・大浜公園・開口神社・南宗寺・千利休屋敷跡・さかい利生の杜
雨が少しパラついていましたが、無事に堺の町を探検することができました。また次年度以降も実施予定なので、新たな堺の発見ができることを楽しみにしています。
なお、今日10/14(土)と明日10/15(日)は堺まつりも開催されています。堺東周辺がとても賑やかになっています。一度訪れてみてはいかがですか。
<閑話休題>
ここで、少し堺について有名どころを紹介します。
堺は貿易都市・商業都市として栄えました。日本第一の文化・先進都市を誇り、いろんなものが堺で始まったと言われています。伝承なども堺が発祥の地として「ものの始まりなんでも堺」といわれているそうです。
一部を紹介すると、まずは【鉄砲】
ポルトガルから種子島に鉄砲が伝えられた後、堺の商人の橘屋又三郎が種子島を訪れて、鉄砲の製法を学び、堺で鉄砲が作られるようになったのがはじまりだそうです。
堺では平安時代から鋳造・鍛造の高度な技術が伝えられていて、火薬の原料となる硝石を輸入できたことも大きいと言われています。堺が貿易都市だったことからできたことでしょう。
次に【自転車】
明治30年代初め、当時の自転車は輸入品のみでブレーキもなく、故障や転倒が多かったため修理が必要でした。
堺は、戦国時代から受け継がれた金属加工に関する豊かな経験と高度な技術を持つ鉄砲鍛冶が行われていました。桜之町の近藤嘉吉がハンドルやホークを作ったのが、堺の自転車製造の始まりとされているそうです。
3つめは【線香】
16世紀終わりころ、日本で最初に線香が堺で作られました。香を棒状にした現在の線香の製法は、キリシタン大名で知られる小西行長の兄により中国から伝えられたといわれているそうです。
堺は貿易港があり、交易品で珍しくて重宝された白檀や沈香などの原料の香木が集まりやすかったため、また、寺院が多かったことが線香づくりの発展を支えたではないかと言われています。
次に堺ゆかりの偉人です。
〇行基(ぎょうぎ)
堺・蜂田郷(現在の家原寺)に生まれました。生涯に49の寺を建立し、その一つの大野寺土塔から、築造に協力した人々が自らの名前を記したと考えられる文字瓦が多く発掘されているそうです。
また、東大寺大仏の建立にも加わり、天平十七年(745)聖武天皇から大僧正の位に任ぜられました。
〇千利休(せんのりきゅう)
堺の裕福な魚屋(ととや)に生まれました。早くから茶の湯に親しみ北向道陳、武野紹鷗に師事しました。利休は堺の豪商の一人でしたが、茶の湯をもって織田信長に近づき、信長の死後は豊臣秀吉の茶頭として仕えながら茶道を大成しました。
現在の茶道千家の始祖であり茶聖と称せられています。
〇阪田三吉(さかたさんきち)
※「吉」の正しくは、吉の上側は土です。
大鳥郡舳松村(現在の協和町)に生まれ、幼少期から大人が指す将棋を見て将棋を覚えたそうです。自由な発想で定跡にとらわれない将棋を指し驚異的な強さを持っていました。実力社会といわれた将棋界で大成し一時代を築きました。
昭和30年には、日本将棋連盟から名人位と王将位が追贈され、この時代の将棋界では阪田三吉がトップ棋士の一人として君臨していました。
現在は、10/11に将棋界の全8タイトルを独占した藤井聡太八冠の偉業は記憶にも新しいことと思います。藤井八冠だけでなく平成のレジェンドといわれる七冠を達成した羽生善治九段をはじめ、多くのTOP棋士がしのぎを削っています。今の将棋界はすごく面白いですね。
堺の甲斐町に和菓子で有名な駿河屋で生まれました。明治~昭和を短歌とともに生き、「情熱の歌人」と呼ばれており、同じ文学者鉄幹(寛)の妻で、11人の子どもたちの母でした。
明治34年に出版された「みだれ髪」は、鉄幹へのあふれる愛と青春のみずみずしさを歌いあげ、浪漫主義の代表作となりました。
また、女性の権利に焦点をあてた評論も多く、当時の女性の地位向上に積極的に取り組みました。
教科書に出てくる偉人が堺にはたくさんいます。他にも探してみてください。