80年前、1945年8月6日午前8時15分、広島市に原子爆弾が投下されました。人類史上初めて、兵器として原子爆弾が用いられた日です。広島市は壊滅的な被害を受け、同年12月末までに、約14万人が亡くなったとされています。この後も後遺症などで亡くなった方々がいらっしゃるので、もっと多くのかたが原爆関連死をされています。
今日の平和記念式典における松井広島市長の平和宣言の冒頭に、
今から80年前、男女の区別もつかぬ遺体であふれかえっていたこの広島の街で、体中にガラスの破片 が突き刺さる傷を負いながらも、自らの手により父を荼毘に付した被爆者がいました。「死んでもいいから水を飲ませてください」と声を振り絞る少女に水をあげなかったことを悔やみ、核兵器廃絶を叫び続けることが原爆犠牲者へのせめてもの償いだと自分に言い聞かせる日学者。原爆に遭っていることを理由に相手の親から結婚を反対され、独身のまま生涯を終えた被爆者もいました。
とありました。被爆者たちの心の痛みがあふれてくる冒頭です。先日ピースおおさかで見学した際にも感じた痛みでした。
戦後80年。戦争で犠牲になった方々の思いを受け継いでいるのかどうか、改めて思い続けたいです。
私が聞いていてどきっとした言葉があります。沈みゆく戦艦大和から助かった乗組員が、語り部として語っている話の中の言葉です。
「君たちが生きている現在は、戦友たちが生きたかった未来だ」