本校の沿革
1900 |
明治33 |
2 |
11 |
五代五兵衛翁、弟音吉の手助けにより真宗大谷派の誓得寺に盲唖院の設立事務所を設置(南区大宝寺中町)。 |
1900 |
明治33 |
7 |
13 |
五代五兵衛翁の招聘により本邦盲唖教育の鼻祖であり京都盲唖院院長であった古河太四郎が来任。 |
1900 |
明治33 |
9 |
13 |
浄土真宗本願寺派の浄久寺を仮教場として、開校(東区本町4丁目28番地 現在:中央区本町4丁目2-5)。初代校長は古河太四郎。 |
ここから①浄久寺時代 |
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1900 |
明治33 |
11 |
3 |
病院跡を校舎として購入し、移転(南区塩町1丁目15番地 現在:中央区南船場1丁目10-25)。 |
ここから②塩町校舎時代 |
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1905 |
明治38 |
3 |
25 |
創立初めての卒業式を挙行。 |
1907 |
明治40 |
4 |
18 |
大阪市に移管し、校名を「市立大阪盲唖学校」へ改称。 |
1907 |
明治40 |
12 |
26 |
古河太四郎校長逝去。63才。 市役所学務課長宮島茂次郎が校長事務取扱となる。 |
1908 |
明治41 |
4 |
1 |
寄宿舎を設置。 |
1909 |
明治42 |
7 |
5 |
生徒急増により、長堀校舎に移転(南区長堀橋筋1丁目3番地 現在:中央区島之内1丁目20-19)。 |
ここから③長堀校舎時代 |
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1910 |
明治43 |
11 |
3 |
本校聾唖学友会による機関紙『聾唖学友会誌』を創刊。6号(1915年)まで存続。 |
1913 |
大正2 |
7 |
24 |
元育英高等小学校跡に移転(南区桃谷町25番地 現在:中央区上本町西3丁目2-30)。 |
ここから④桃谷校舎時代 |
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1913 |
大正2 |
10 |
21 |
第4回全国盲唖教育大会を校内で開催。 |
1913 |
大正2 |
9 |
12 |
五代五兵衛翁が急逝。66才。 |
1919 |
大正8 |
4 |
1 |
校名を「大阪市立盲唖学校」と改称。 教唖部に幼稚科を設置。 |
1923 |
大正12 |
4 |
1 |
盲聾分離が成就され、教唖部が「大阪市立聾唖学校」となる。宮島盲学校校長が校長を兼ね、校舎は盲学校内に設置。 |
1923 |
大正12 |
5 |
1 |
生野区の新校舎に移転(生野区南生野町4丁目135番地 現在:生野区生野東4丁目1-75)。 |
ここから⑤生野校舎時代 |
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1924 |
大正13 |
4 |
1 |
髙橋潔が第六代校長へ就任。 |
1924 |
大正13 |
12 |
24 |
『聾唖学友会誌』の後継誌となる本校機関紙『校友会誌(会報)』を創刊。13号(1937年)まで存続。 |
1928 |
昭和3 |
1 |
10 |
生徒および卒業生、教職員の有志により、日本初の聾者劇団「車座」を設立。1940年頃まで活動。 |
1928 |
昭和3 |
4 |
4 |
第3回日本聾唖協会総会を校内で開催。 |
1929 |
昭和4 |
9 |
15 |
大曾根源助が米国へ派遣され、51校の聾学校を視察する。1930年3月10日に帰国(177日間)。 |
1930 |
昭和5 |
10 |
9 |
藤井東洋男が欧州へ視察に行く。1932年11月13日に帰国(766日間)。 |
1931 |
昭和6 |
校旗が制定される。 |
||
1931 |
昭和6 |
大曾根源助と教職員により、大曾根式指文字が考案される。 |
||
1932 |
昭和7 |
4 |
4 |
口話学級を創設。 |
1932 |
昭和7 |
10 |
22 |
大阪市立聾唖学校創立10周年祭を開催。その中で、適性教育を基幹とする大阪市立聾唖学校法(ORAシステム)を発表。これを外部へ発信するための『ORAパンフレット』(合計11編)を配付する。 また大曾根式指文字も発表され、これが全国で普及している指文字となる。 |
1933 |
昭和8 |
1 |
27 |
髙橋潔が全国盲唖学校長会議の席上で、手話学級設置の必要性をのべる。 |
1933 |
昭和8 |
6 |
15 |
髙橋潔が『宗教々育に就て』を著わす。 |
1933 |
昭和8 |
12 |
手話映画『声なき唄』六巻を製作。 |
|
1934 |
昭和9 |
9 |
21 |
室戸台風のため本館倒壊。登校した生徒200余名と職員は、隣にある生野中学校に避難し全員無事。 |
1937 |
昭和12 |
12 |
25 |
五代五兵衛翁頌徳会が伝記『五代五兵衛』を刊行。編集主幹は本校教諭の福島彦次郎。 |
1938 |
昭和13 |
春 |
大阪聾唖福祉協会後援婦人会世話人川島貞子氏が、香里道場の建設用地として私有地3025坪を寄贈。 |
|
1939 |
昭和14 |
5 |
17 |
心身を鍛錬する場として香里川島園道場が竣工(北河内郡友呂岐村字三井690番地 現在:寝屋川市成田東町22周辺)。落成披露式を挙行。道場は1958年まで存続。 |
1942 |
昭和17 |
4 |
25 |
新校舎に移転する(天王寺区勝山通3丁目 現在:天王寺区烏ヶ辻2丁目6-40)。 |
ここから⑥勝山校舎時代 |
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1945 |
昭和20 |
6 |
15 |
大阪大空襲のため勝山校舎が全焼。五条国民学校内に仮事務所を設ける。 |
1946 |
昭和21 |
1 |
1 |
野江駅近くの榎並小学校分教場へ移転し、仮校舎として事務所を設ける(城東区関目2丁目 現在:城東区成育1丁目5-19)。 |
ここから⑦野江学舎時代 |
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1946 |
昭和21 |
4 |
1 |
仮校舎で授業を開始する。 |
1946 |
昭和21 |
6 |
15 |
南河内郡埴生村の大阪市立青年学校練成所跡に分校を設置(南河内郡埴生村大字埴生野321番地 現在:羽曳野市学園前1丁目1-3)。 交通が不便なため、授業は行われず。同地は、1948年4月から大阪市立郊外羽曳野中学校および大阪市立羽曳野学園が設置される。 |
1947 |
昭和22 |
12 |
15 |
学校新聞『すずかけ』を創刊。 |
1948 |
昭和23 |
4 |
1 |
盲聾教育の義務制が施行され、新学制が編成される。幼稚部・小学部・中学部・専攻科・別科が設置される。校名も「大阪市立聾学校」へ改称。 |
1948 |
昭和23 |
4 |
13 |
現在地である元東商業高校跡に移転する(東区広小路35番地 現在:中央区上町1丁目19-31)。 |
ここから⑧上町校舎時代 |
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1950 |
昭和25 |
1 |
30 |
集団補聴器を設置した聴能教室を設け、聴能指導を開始。 |
1950 |
昭和25 |
11 |
29 |
創立50周年記念式典を挙行。 |
1952 |
昭和27 |
9 |
15 |
大曾根源助が第七代校長に就任。 |
1953 |
昭和28 |
5 |
3 |
木造平屋が竣工(現在は取り壊されている)。 |
1954 |
昭和29 |
6 |
隣接地吉村邸跡を購入し、校地を拡張(現在の北校舎付近)。 |
|
1955 |
昭和30 |
5 |
2 |
秩父宮妃殿下がご来校になる。 |
1955 |
昭和30 |
12 |
8 |
北校舎が竣工。 |
1955 |
昭和30 |
12 |
14 |
創立55周年を記念し、全国聾学校作品展を開催。 |
1956 |
昭和31 |
11 |
6 |
寄宿舎が竣工。 |
1957 |
昭和32 |
5 |
2 |
寄宿舎を開設して舎生を収容する。 |
1957 |
昭和32 |
7 |
6 |
三笠宮殿下がご来校になる。 |
1958 |
昭和33 |
3 |
31 |
NHKのテレビ研究委嘱校に指定。 |
1959 |
昭和34 |
10 |
2 |
体育館が竣工。 |
1959 |
昭和34 |
10 |
13 |
創立60周年記念式及び体育館落成祝賀式を挙行。 |
1961 |
昭和36 |
9月13日を本校の創立記念日とする。 |
||
1965 |
昭和40 |
5 |
本館に隣接して給食室を新設。 |
|
1966 |
昭和41 |
4 |
1 |
別科が廃止される。 |
1966 |
昭和41 |
4 |
5 |
南校舎が竣工。 |
1966 |
昭和41 |
10 |
13 |
創立65周年記念式並びに校舎増築落成祝賀会を催す。「大阪市立聾学校65年史」を発行。 |
1973 |
昭和48 |
7 |
7 |
プールが竣工。 |
1975 |
昭和50 |
7 |
25 |
本校東側にプレハブを仮設。 |
1975 |
昭和50 |
10 |
21 |
体育館を増改築。 |
1975 |
昭和50 |
9 |
12 |
創立75周年記念行事を挙行。 |
1975 |
昭和50 |
10 |
21 |
創立75周年記念式典を挙行。 |
1978 |
昭和53 |
4 |
3 |
東校舎が竣工(第1期工事)。 |
1978 |
昭和55 |
11 |
12 |
全校文化祭を初めて開始。 |
1979 |
昭和54 |
2 |
1 |
住居標示を変更(東区上町1丁目19-31)。 |
1980 |
昭和55 |
9 |
校歌が制定される。作詞は松本有司、作曲は原田雅夫。 |
|
1980 |
昭和55 |
9 |
12 |
創立80周年記念式典を挙行。 |
1982 |
昭和57 |
6 |
25 |
東校舎を増築(第2期工事)。 |
1983 |
昭和58 |
5 |
19 |
野球用バックネット、校庭南側フェンスを改修。 |
1984 |
昭和59 |
2 |
14 |
聴能・聴力検査室、テニス兼バレーコートが完成。 |
1985 |
昭和60 |
4 |
9 |
給食調理室を改築。 |
1985 |
昭和60 |
9 |
14 |
創立85周年記念式典を挙行。 |
1989 |
平成元 |
2 |
13 |
東区と南区が統合され中央区となり、住所表記が変更(中央区上町1丁目19-31)。 |
1991 |
平成3 |
3 |
2 |
本館(小学部・中学部・管理棟・プール)を改築。 |
1991 |
平成3 |
4 |
9 |
ヤングチャンピオンに、大正・昭和時期の本校を描いた漫画『わが指オーケストラ』(山本おさむ作)が掲載。10月8日号まで掲載される。 |
1991 |
平成3 |
10 |
12 |
創立90周年記念並びに本館校舎改築竣工記念式典を挙行。 |
1993 |
平成5 |
8 |
25 |
グラウンドから前期難波宮朱雀門の遺構が発見される。 |
1995 |
平成7 |
10 |
18 |
通級による指導を開始。 |
1997 |
平成9 |
11 |
2 |
第33回全国身体障害者スポーツ大会「ふれ愛ピック大阪」の開会式に本校児童生徒による鼓隊が出場。同大会バレーボール大会開会式に寄宿舎太鼓サークル「たつの子」が出演。 |
1998 |
平成10 |
4 |
1 |
高等部本科の学科を「アパレル情報科」・「インテリア科」・「普通科」、専攻科の学科を「デザイン情報科」に学科名変更。 |
2000 |
平成12 |
10 |
7 |
創立100周年記念式典を挙行。 |
2004 |
平成16 |
11 |
5 |
第41回全国聾学校卓球大会の主管校を務める。 |
2005 |
平成17 |
10 |
18 |
第39回全日本聾教育研究大会の主管校を務める。10月20日まで実施。 |
2009 |
平成21 |
4 |
校名を「大阪市立聴覚特別支援学校」に改称する。 |
|
2010 |
平成22 |
9 |
14 |
創立110周年記念集会を挙行。スローガン「手話とともに未来へ」 |
2013 |
平成25 |
4 |
1 |
高等部本科の教育課程に「特進コース」を設置。 |
2014 |
平成26 |
4 |
1 |
地域学校の教育支援活動を担う「聴覚支援センター」が発足。 |
2016 |
平成28 |
2 |
20 |
創立115周年記念集会を挙行。スローガン「大阪市立聾学校いつまでも」 |
2016 |
平成28 |
4 |
1 |
大阪府に移管し「大阪府立中央聴覚支援学校」に改称する。 |
2017 |
平成29 |
7 |
22 |
オープンスクールを初めて実施。 |
2018 |
平成30 |
3 |
23 |
本校応援旗の新しいデザインが決定。また本校マスコットキャラクターが「すずちゃん」に決定。 |
2018 |
平成30 |
5 |
24 |
SPS(セーフティ プロモーション スクール)認証を受ける。支援学校では日本初。 |
2019 |
令和元 |
5 |
10 |
災害時における安否確認や不審者情報、学校行事について連絡するマチコミメールを配信開始。 |
2019 |
令和元 |
6 |
8 |
これまで二学期に実施していた運動会を一学期に開催。 |
2020 |
令和2 |
3 |
2 |
新型コロナウイルスの感染拡大を受け、臨時休校となる。最終的には5月31日まで延長。 |
2020 |
令和2 |
9 |
11 |
創立120周年記念集会を挙行。 |
2021 |
令和3 |
5 |
31 |
SPS(セーフティ プロモーション スクール)認証を更新。 |
2021 |
令和3 |
9 |
11 |
創立120周年記念式典を挙行。 |