救急救命士

【経歴・今の仕事について】

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藤井寺高等学校 卒業 東洋医療専門学校 救急救命士学科 卒業 株式会社アンビュランス 関西メディカル民間救急 入社 専門学校を卒業後、救急救命士として働ける民間企業に入社しました。 民間救急では日々患者様を安全かつ迅速に搬送を行っています。

入院、退院、転院搬送や 長距離搬送、海外搬送など行っています。また、搬送先は医療機関だけではなく、旅行や 冠婚葬祭、プライベートイベント等でもご利用いただけます。その他にも音楽やスポーツ などのイベント救護や、旧病院から新病院に移る病院移転、救急車運行委託事業など幅広 く行っています。 コロナ禍では大阪府全域の軽症・中等症の患者様の搬送を行い、大阪市、堺市の消防救急 と連携し患者様の搬送に務めました。現在もコロナなどの感染症の搬送も行っています。2024 年 1 月の能登半島地震の際には人員、車両を現地に派遣するなど有事の際も活動して います。 現在は主にイベント救護事業に携わり、某音楽イベントでは救護責任者を任せて頂き、 日々、責任とやりがいを感じながら仕事をしています。

【専門学校について】

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救急救命士とは、簡単に言いますと、救急現場の最前線で高度な処置を行い傷病者の命を 救う仕事です。 専門学校では国家資格である救急救命士としての知識と技術を3年間学びました。 国家試験対策の座学、救急現場で必要な実技実習、病院実習やリバーレスキュー等の特別 実習などを全国から集まった仲間たちと共に一つの目標に向かって学んだ濃い 3 年間でし た。 救急救命士の就職先として、消防署や病院、民間救急、自衛隊など、中にはフリーランス で活動している方などもいます。

【藤高時代の 1 番印象に残る思い出】

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部活動が1番の思い出で、私が所属していたのはサッカー部でした。 試合には勝ったり負けたり、色々思い出はありますが、やはり印象に残っているのは練習 メニューにある校舎周りでした。 私は走るのが嫌いで、いつも後ろの方を走っていた記憶があります。かなりきついメニュ ーでしたが、練習終わりに食堂に行ったり、自販機の前でみんなと喋ったりする時間が楽 しみで頑張れた記憶があります。

【藤高に行ってよかったこと】

先生たちに恵まれているところです。 勉強や進路相談も親身になってくれますし、普段の何気ない会話や、相談事なども聞いて くれる面白くて温かい先生が多く、1 人の大人として接してくれるので居心地がいいで す。 【高校生へのアドバイス】 よく寝て、よく食べて、よく遊んで、高校生活を満喫して下さい。 将来の選択肢を広げる為にも今のうちに勉強もしておいた方がいいです