校章 ~「校章創作の憶い出」
伊丹伊三郎
当然の事とはいえ、戦災後数年の事とて校内周辺共荒廃の一言に尽きる情景であった。
従いまして構想に際しましては何よりも「泉」の文字に惹かれ、これを中核として始める事にしました。
次いで左右には発展を象徴する光線、しかも喜びの性質を内蔵する7ツの数を左右に配列しました。 そして両側及び下部を均衡した前進の形態にまとめ挙げる事が出来ました。 その後、野球部が活躍して甲子園に出場すると新聞の依頼で、校旗のデザインを殆んど徹夜作業で提出したと記憶しています。
昭和56年発行「いずみ14号」より