昭和31年(1956年)に全国に先駆け、初の肢体不自由養護学校として開校した堺支援学校ですが、当時は全国の「養護学校」は、「大阪府立養護学校」と「愛知県立養護学校」の2校でした。そのような中で定めた「校章」の由来について、歴代の校長先生等にお聞きしてまとめたものを記載します。
このようなエピソードを、第8代校長の松本先生や歴代の校長先生から教わりました。当時の障がいのある子どもに対して、教育への思いや期待などが込められた、重要な示唆があることが伺えます。