閉校式 式辞

大阪府立茨田高等学校 閉校式式辞

大阪府立茨田高等学校は、昭和50年4月に開校し、令和6年度の今年度で創立50周年を迎えました。府立学校では、茨田高校と言えば、「ピア・メディエーション」、「コミュニケーション」に力を入れている学校として、認知されるようになってきました。

私が赴任した19年前の平成18年度入学選抜では、大幅な定員割れが起こり、全ての生徒が高校生活に前向きとは言えない状況もありました。このような現状から、この年、本校同窓生の臨床心理士の方の紹介で、「ピア・メディエーション」について初めて校内で教員研修を実施しました。平成19年にはNPO法人シヴィルプロネット関西のご協力のもと、部活動としての活動が始まり、22年にはピア・メディエーションの授業を含む「コミュニケーションコースを設置」するに至り、本校の大きな特色となりました。

ピア・メディエーションのピアとは「仲間や同僚同士」という意味で、メディエーションとは「調停=話合いによりお互いが合意し解決する」ことで、もめごとを解決する手法の一つです。この手法を学校へ取り入れたのが、全国初、部活動や授業として確立して取り組んだ学校も本校が初となります。この「ピア・メディエーション」はコミュニケーションの能力の中でトップクラスの技術が必要だともいわれています。これまでの教育であれば、生徒同士のもめごとには、教員が間に入って、教員の「こうあるべき」で解決につなげていました。しかし、当事者である生徒たちには不満が残る場合があります。ピア・メディエーションは教員の考えを押し付けるのではなく、仲間が仲裁役となり、生徒同士の話し合いを促進し、両者の思いを引き出し、納得した結果を導くという、その当時、教育界にとっては、画期的な手法でもありました。このような手法をパイロット校として本校生徒だけではなく、教員対象の研修の実施や人権文化発表交流会などで学校外の方々にも発信してきました。

コミュニケーションコースでは、甲子園短期大学学長のご協力のもと、コミュニケーション総合の授業について、落語家・アナウンサー・保育・福祉・心理学の教員派遣など、あらゆる分野の方々から授業を受けられる環境を整えていただきました。本校の教員も各教科分担でコースの授業を担当することになり、これまで取り組んだことのないことにもチャレンジしました。

さらに、赴任した当時は、就職氷河期で生徒の進路実現も課題となっていました。そのため、プロジェクトを立ち上げ、合格に必要なことを分析した結果、筆記試験の強化が必要だという結論に至り、平成20年度から筆記試験に必要な基礎学力の向上を目的に「茨田検定」(毎日終礼時に小テスト)を実施しました。検定という名前を入れた理由としては、頑張りを表彰して生徒を褒める機会を増やそうという教員の思いが詰まっています。

平成23年には使える英語プロジェクト・イングリッシュフロンティアハイスクールに指定され、各部屋の英語表記や英語の外国人教員とランチタイムに交流することなどで、身近に英語に親しむ取組みを行い、高大連携の一環として、大学の留学生とのデイキャンプなどで国際交流の取組みも行ってまいりました。

平成24年には、母校に愛着が持てるよう「茨高ツアー(茨田の歴史を辿る校内案内)の実施」、平成26年の創立40周年には身だしなみ指導や受験生獲得のため「制服の大幅改定」、学力保障のため「教えてもらえる自習室の開室」、就職対策とコミュケーション教育の一環として「挨拶通りの設置」、また「体操服改定」、「大阪サイエンスデイ」などにも取組みました。さらに、「挨拶革命」、「凡事徹底」など様々なスローガンを掲げ、挨拶の定着は、企業に好印象を与え、求人や内定増加にもつながりました。

平成27年、28年に本校では定員割れが2年続き、平成29年には、同窓会の協力を得て「食堂のリニューアル」、学校経営推進費による「全HR教室にプロジェクターを設置」をするなどの本校の取組のアピールにより、次年度30年入学生選抜では何とか定員割れを逃れることができました。しかし、令和2年からの新型コロナウイルス感染症の影響もあり、広報活動がままならない状況の中、3年連続定員割れが続き、令和3年に再編整備対象校となり、令和5年度選抜からの募集停止も決まりました。

茨田高校の入学者選抜の倍率については、学区の再編、公立の授業料の無償化、私学の授業料実質無償化、前期後期選抜、学区撤廃、少子化等の影響を受け、激しい変化を辿り、結果的には閉校という形にはなりましたが、本校の築いてきた「コミュニケーション教育」や「ピア・メディエーション」という大きな特色、様々な課題に取り組んできた教育活動は大阪府の財産といっても過言ではありません。

今年度の令和6年度で閉校とともに創立50周年を迎え、12月7日の午後に式典と祝賀会を行いました。その際300名を超える多数の方々の出席のもと実施することができました。また、50周年の記念として、徳庵橋北詰に新しい「美術部の壁画」の制作、さらに、NHK教育番組クインテットやマツケンサンバで有名な 宮川彬良さんに「50周年の記念曲」の作曲を委嘱しました。宮川さんは、曲の依頼を受けた際、母校が亡くなることに対して政治、教育、信頼、継承、社会問題などがよぎり、自分が携わる使命のように感じられたようです。曲の制作にあたり、本校に訪問され、教育について語られた時、「音楽では、人それぞれの力を上手く調和させることが大切だ」とのお言葉をいただきました。人との関わりの大切さとして捉えると、本校の特色でもあるコミュニケーション教育に通じるものがあると感じました。さらに、これまでコミュニケーション総合の授業を担当していただいたアビリティートレーニング木下晴弘先生による式典での「記念講演」では、人生に関わる「豊かな未来」についてお話いただき、同窓生の方からは、「18歳の時に聞いておきたかった」という感想ももらいました。茨田高校のコミュニケーションコースは、このような素晴らしい授業が受けられる学校でした。

この50年の間には、「研鑽錬磨」を礎に、2期生の任天堂スーパーマリオを手掛けた手塚卓志さんや、9期生のラグビーで有名な清宮克幸さんのように、わが国の産業・社会を支える優秀な人材も多く輩出してまいりました。また、中高連携では、茨田カップ、茨田フェスなどに地域の中学生の皆さん、高大連携では、甲子園大学・短期大学の教員の方からコミュニケーションを中心とした授業をご担当いただき、関西外国語大学・大阪国際大学には、留学生の方々との国際交流イベントなどで大変お世話になりました。また、地域の方々からは、本校への理解のため、地域版茨高ツアーやPTA文化教室への参加、鶴見区との関係では、食生活改善推進員の方々による食育の授業、市民協働課の方々による選挙教育や防災教育、消防関係では、避難訓練、救急救命や緊急時の対応、警察関係では、交通安全、犯罪被害者・薬物乱用防止の講演等。また、近隣の施設との交流では、のぎく保育園、特別養護老人ホームファミリー、さらに地元のお祭りに呼んでいただくなどの数えきれない方々との関わりやふれあいの中で本校生徒が成長できる機会をいただきました。

卒業生にとっての母校のぼは「母」と書きます。たくさんの子どもたちを産み育て、社会へ送り出し、その半世紀の間、数えきれないほど、様々な出来事があり、それでもなお、変わらず静かに見守り続け、最後の最後まで私たち全員に「学び」とは何かということを考える機会をも与えてくれたと思います。私自身もこの茨田高校で多くを学びました。

本校は大阪府立野崎高等学校と機能統合することとなり本校の特色ある取組みの「コミュニケーション教育」などを野崎高校へ継承致します。

野崎高校の1室には茨田高校の記念室を設置し、50周年の記念品をはじめ、在学中に亡くなられた生徒の保護者が本校に寄贈された「交通安全の碑」や「空野文庫」を示すものなど、本校にゆかりのあるものを展示する予定です。

閉校は同窓生の皆様や教職員にとって、残念なことですが、皆様のおかげで節目である50周年を迎えることができました。この50周年という節目を契機に、「茨田高校が閉校する」ということを多くの関係者に周知することができ、より多くの方々と共に今日の閉校を迎えることができました。茨田高校での経験や体験、学び、そして、たくさんの思い出は皆さんの心の中に刻まれることでしょう。

茨田高校の跡地は知的障がいのある生徒の支援学校へ生まれ変わる予定です。この地で行われてきた茨田高校の教育活動は生徒、教職員、保護者、地域の方々の記憶の中に生き続けます。これまで、茨田高校を支えてくださった皆様に感謝申し上げます。本当に有難うございました。最後に、皆様方の御健勝と御多幸をお祈りし、式辞といたします。

令和7年3月1日

大阪府立茨田高等学校 校長 松井 くみ子