沿革・歴史

本校の歴史 (以下 沿革史より)

 設立とその意義


 本校の設立は、昭和15年6月29日です。
昭和15年といえば、太平洋戦争の起きる前年、世をあげて戦争目的の達成に総動員されていたときです。
物の面はもとより、人もまた、戦争の用にたつように編制され、動員されていたときです。
そのような時勢に、およそ戦争とは縁遠い存在であった「忘れられた子ら」のための学校が、しかも全国にさきがけて生まれたということは、誠に意義深いことといわねばなりません。
このような設立のきっかけとなったのは、昭和14年2月から、大阪市が全市児童について行った調査でした。
この調査は、当時、大阪市教育部長であった菅野和太郎氏の英断により、鈴木ビネー法の鈴木治太郎博士のご指導をうけて、大阪市小学校教育研究会特殊教育部が中心となって、6か月の日数を費やして行われたものでしたが、その結果、精神あるいはからだのどこかに障害があるため、
障害のない学童と一緒に、教育指導をうけることのできない児童が、全市37万7千余の学童中、その2.33%に当る 8,846名にも及ぶことが確認されたのでした。
 この調査資料が単に資料として書庫に格納されてしまわないで、これに基いて、「※ 精神薄弱児」のための特別な学校をつくる計画が具体化されたのは、我国「※ 特殊教育」史上、画期的なことでありました。
そして、それを推進した力は、一つには調査に現れた大きな数字の驚異によるものであり、又一つには、当時の大阪市長、坂間棟治氏をはじめ、関係者の理解の深さと先見の明によるものというべきでしょう。
 こうして、本校は、教育勅語喚発50周年記念事業の一つとして、15年6月『大阪市立思斉学校』という名称で誕生したのでした。 
「思斉」の名は、「※ 特殊教育」を行う学校にふさわしいようにと、論語の里仁篇の中の「子日見賢思斉焉見不賢而内自省也」ということばから、当時の坂間大阪市長が選んだものでした。
 実際に児童をうけいれて、開校されたのは、それより2か月後の9月2日で、当時、真田山公園内にあった大阪市立児童相談所の一部を仮校舎として開かれました。
 初代校長は、小学校教育研究会特殊教育部の部長として、先の学童調査の中核となって活躍した田村肇氏。指導に当たった訓導は、当初3名(他に養護員1名)で、学級数2、児童数は34名と記録されています。

文中「※  」のそれぞれは当時の文言です。


  沿革
年/月/日出来事
昭和15年 6月 大阪市立思斉学校設立
昭和17年 2月 大阪市立思斉国民学校と改称
昭和18年 3月 旭区豊里1758(現在地)に新校舎竣工移転
昭和22年 4月 大阪市立思斉小学校と改称
昭和24年 6月 大阪市立大宮中学校に分校併設(27.3廃止)
昭和27年 4月 大阪市立思斉小学校に中学校を併設
昭和32年 4月 大阪市立思斉養護学校と改称
昭和39年 4月 高等部別科1年制併設(46.3廃止)
西校舎完成
昭和46年 4月 高等部本科設置
分校設置(54.3廃止)
昭和49年 7月 東校舎完成
昭和53年 8月 北校舎完成
昭和59年 1月 校歌制定
平成 2年10月 創立50周年記念式典挙行
平成13年 8月 西校舎完成(改築)
平成14年 1月 西校舎竣工・創立60周年記念式典挙行
平成15年 1月 陶芸室改修
平成15年 2月 北校舎トイレ改修
平成16年 3月 陶芸室・木工室電気工事
平成17年12月 給食室移転、ドライシステムに改修
平成18年 3月 木工室移転改修
平成18年 9月 エアコン増設
平成18年 9月 体育準備室・染色洗濯室を1教室に改修
平成19年 9月 スクールバス6号車運行開始
平成21年 3月 手芸準備室・美術準備室を1教室に改修
平成21年 4月 大阪市立思斉特別支援学校と改称
平成22年 6月 創立70周年記念式典挙行
平成23年 3月 学習室・教材室・職員更衣室を改修
平成24年 3月 美術室・被服室・生活訓練室を改修
平成24年 4月 スクールバス7号車運行開始
平成28年 4月 大阪府への移管に伴い、大阪府立思斉支援学校となる。
令和 2年 4月 創立80周年
令和 4年 7月

レインボープロジェクト(ICT利活用推進PT)開始(令和7年3月迄)