束の間の秋休みが終わり、この日は後期の始業式。とても感動した体育祭の終わりに、生徒の方から「センター試験まであと○○日」というあいさつがなされたことにもインスパイアされ、こんなあいさつをいたしました。学校で、みんなで、高みにあがっていってほしいと思います。
(写真は少しずつ作っているカンガルーです。昨年とちょっと趣が異なりますがご容赦を。)

(以下、式辞)
おはようございます。暑い夏もやっと過ぎていきましたが、この夏、東京スタディーツアーや、京都大学の研究室訪問では、未来をつかもうというみなさんの思いを感じましたし、体育祭では、猛暑のなか準備をすすめ、雨に悩まされ、それでもやり抜き、みなさんが本務を尽くしてよき日とされたことに感銘を受けました。ほかにも、部活動や学びのチャレンジなど、自分自身や仲間のために努力して、すてきな成果を発揮する姿を目にできて、うれしく思っています。
では、後期に向けて、「先日こんなことが」という話からいたします。9月中旬のある日の放課後、本校生徒お二人が校長室に来られました。過去10年分の卒業アルバムを見たい、と2時間近く熱心に見ておられました。最後に、ある年の体育祭のマスコットの写真を指さして、「あと1つこれが何かわからないんです。校長先生、わかります?」と質問されました。私もわからなかったので、とっさにそのマスコットをスマートフォンで撮って、自分がふだん使っているAIに尋ねると、「ある薬品のキャラクターかも」と回答してきました。「そうかー」と一件落着したのですが、私は自分のしたことになんでかもやもやいたしました。
その数日後、あるビジネス系の記事の中で「『答えがわからない時間』を、私たちは手放していいのか」という文章が目に留まりました。皆さんもご存じかと思いますが、ニューヨーク市が、2歳から中2の子どもたちの学校でのAI利用を1年間禁止することに触れていました。曰く、学校は、子どもたちが「考え、読み、書き、推論し、問題を解き、互いに話し、困難に取り組む」場所であり、教師や仲間との関係が学習の中心にある「人間的な場所」でなければならない。このことをふまえて、お仕事でも、以前は課題解決の中にあった他者との接点、それはこれから減っていく、だからこそ、「一緒に仕事をやる」を、あえて残す必要がある、記事はそう結論付けています。これを読んで、私のもやもやはこれか、と腑に落ちて、尋ねたその生徒さんたちの方が学校らしかったんだな、と納得、こんなお話です。
この4月の入学式では1年生のみなさんに、「私たちは、皆さんに、身につけるべき莫大な知識を伝え、答えのない問いを投げかけるでしょう。」と述べました。その空気のなかで過ごしたみなさんにはよく伝わると思いますが、安易な答えを引き出すことは、みなさんがめざす山の高さを下げてしまいます。答えのない問い、答えがわからない時間に向き合うその深さこそが、みなさんがのぼる山の高さを決める、そう私は思っています。
茨木高校は、特に2年生のこの時期を「分水嶺」と呼んでいます。1年生のみなさんにとっても、茨高生としていよいよ本格的に日々に挑む時期、3年生のみなさんにとってはまさに正念場の半年かと思います。先ほど、ニューヨーク市のお話を紹介しました。特に言うなら、茨木高校は「互いに話し、困難に取り組む、関係が学習の中心にある人間的な場所」としてある、と私は思っています。高い分水嶺に向かうのは一人ですることではありません。ここで過ごしてきた仲間とともに、高い分水嶺に向かい、新しい景色を見る、そんな後期にしていただければ、と心から願い、あいさつといたします。
ご清聴、ありがとうございました。