閉校式 学校長式辞
本校の歴史は、大正11年(1922年)「大阪府立第十二高等女学校」として府立泉尾高等女学校内に設置され、翌年に現在の桃谷高等学校校地である生野区勝山通に移転し改称された「大阪府立生野高等女学校」から始まりました。
生野高等女学校時代は、初代校長が25年間つとめられ、「質実勤敏」「進取明朗」の標語のもと、「健康第一」を目標とし体操や長距離歩行などに力を入れ、体操優良校として文部大臣(当時)表彰を受け「体操日本一」と新聞記事にもなりました。大正・昭和、戦前・戦中・戦後と大きな歴史の変動に翻弄され、戦後、昭和23年(1948年)の学制改革により男女共学の「大阪府立勝山高等学校」となり、昭和41年(1966年)に現在地に移転し、現在に至ります。
高度経済成長、バブル景気とその崩壊、社会の状況も目まぐるしく変化していく中、学区制の実施、何度かの学区改編、数々の高校改革の流れ、そして学区の撤廃、私学を含む授業料の無償化等、大阪府においても様々な教育の情勢の変化がありました。本校もこの時代の大きな波の影響を多大に受けながら、歴代の校長先生はじめ教職員、卒業生、地域のみなさま、多くの関係者の方々の熱い思いにより幾多の試練も乗り越えてきました。
近年では、「きれいな学校」「元気な学校」「地域に根差した学校」「安全で安心な学校」「たくましく自立・しっかり自律」に向けて、教職員一丸となって、校内美化、あいさつ運動、農園整備からの地域連携、教育相談室の整備、「協同的な学び」の推進による授業改革などに取り組んできました。生徒も教員も互いに学びあう誰も取り残さない学校として、生徒ひとり一人に丁寧なかかわりをもち、きめ細かな生徒指導に努めることを継続してきました。
平成30年に発表された「再編整備計画」により、令和2年度には、桃谷高校Ⅰ・Ⅱ部との統合整備により多部制単位制の大阪わかば高等学校が開校しました。
「わかば」は、生野高等女学校時代から所縁のある名称で、勝山高校の同窓会「嫩葉同窓会」に由来します。全日制普通科の高校から定時制多部制単位制の高校へと学びのスタイルは変わりますがこの校地で勝山高校の歴史を大切にしながら、大阪わかば高校があらたな歩みをはじめています。
創立以来、大正、昭和から平成、そして令和へと歴史を築き、35,000人を超える卒業生を送り出した伝統ある勝山高校は、この3月末をもって99年の歴史に幕を下ろします。
今日まで勝山高校を支え、ご理解とご協力、ご支援をいただきましたすべてのみなさまに深く敬意を表するとともに感謝申し上げます。また、この校地を引き継ぐ大阪わかば高校に、今後も変わらぬご支援を賜りますことを心よりお願い申し上げます。
令和4年3月4日
大阪府立勝山高等学校
校長 幸川 由美子