沿革<2>

1922(大正11)年
4月 大阪府立第12高等女学校開校 4月10日 入学式挙行
1923(大正12)年
4月1日 名称を 大阪府立生野高等女学校 と改称する
12月21~23日 新校舎(大阪市生野区勝山通8丁目)に移転
1924(大正13)年
1月26日 校章制定
9月27日 第1回金剛登山実施
11月8日 第1回体育大会(午後0時半より)を挙行
1925(大正14)年
10月23日 第1回創立記念式挙行 校歌制定
1926(大正15)年
11月2日~8日第1回(修学)卒業旅行(東京、日光、箱根方面6泊7日)
全国女子庭球大会優勝(大毎主催、神宮競技場)
1927(昭和2)年
3月20日 第1回卒業式挙行(卒業生152名、5ヵ年皆勤者3名)
1928(昭和3)年
寒稽古開始(2週間のウォーキング)
1929(昭和4)年
庭球全国制覇。硬球ダブルス-広瀬・中村組、硬球シングルス-中村
1930(昭和5)年
6月3日 屋上に神殿を設ける
1931(昭和6)年
1月17日 新年会 午後、大阪市立盲学校生徒と合同演奏会
10月3日 バスケットボール大阪大会で優勝。神宮大会に出場
1932(昭和7)年
3月中旬 嫩葉会館竣工
4月12日 わかば会家政研究科開講
10月23日 創立10周年記念式挙行、標語「最善を尽くせ」。嫩葉会館落成式挙行
1933(昭和8)年
1月11日 学習態度確立のため自習時間制定
1934(昭和9)年
9月21日 室戸台風 ―金剛登山を中止し、その費用と生徒職員からの義捐金を台風被災者に見舞金としておくる
1935(昭和10)年
10月23日 第14回創立記念日。『進取明朗』を『質実勤敏』とともに2大目標とする。
1936(昭和11)年
10月23日 従来の自校体操を『嫩葉体操』と命名。
1937(昭和12)年
3月31日 体育館竣工
1938(昭和13)年
8月 運動場改装
1939(昭和14)年
10月3日 3,4年有志がBKのマイクを通して合唱4曲を全国放送(嫩葉影など4曲)
1940(昭和15)年
2月1日 平野休耕地作業開始
1941(昭和16)年
2月11日 日本体育連盟より体操優良校として表彰を受ける
11月11日 第1回嫩葉体操競技会実施
1942(昭和17)年
9月4日 校地拡張運動場改装なり清祓式挙行
10月23日 創立20周年記念式典挙行
1943(昭和18)年
7月30日 女子学徒の勤労動員決定
10月23日 増築木造新校舎落成
1944(昭和19)年
4月~ 府下一円学徒通年動員
1945(昭和20)年
3月27日 第19回卒業式(5年卒業)及び第20回卒業式(4年卒業)挙行
8月15日 終戦
8月22日 出動生徒正常に復す
1946(昭和21)年
3月25日 第21回卒業式(17年入学者82名、4ヵ年課程の卒業)
4月4~5日 入学試験(この年から学区制撤廃)
12月4~6日 修学旅行復活(5年生82名、南紀方面へ)
1947(昭和22)年
1月下旬 学級対抗討論集会実施
3月23日 創立25周年記念式典
4月1日 新学制による小中学校発足に伴い、大阪府立生野高等女学校に新設の併設中学を設置し、第2、第3学年生徒を併設中学に移行し、第1学年生徒は募集しないこととする。
1948(昭和23)年
3月3日 生野高女第22回卒業式(昭和18年入学生、157名)
4月1日 学制改革により大阪府立勝山高等学校と改称
4月5日 生野高校より教員(13名)及び男子生徒を迎え、入学式及び始業式を行う
4月11日 生野高校が校舎を生野三中に明け渡し、勝山高校と同居することが決定
11月13~14日 生野高校との合同文化祭開催
1949(昭和24)年
3月3日 勝山高校第1回卒業式挙行-昭和18年生野高女入学者のうち42名
3月18日 生野高女第23回卒業式挙行(昭和19年入学生中の111名)
1950(昭和25)年
4月1日 大阪府立高校学区制実施 市内を6学区、市外を8学区に区分。勝山高校は市内5学区とされ、普通科、家政科合わせて300名募集とする
4月8日 入学式 新制高校1年生としてはじめて入学 新校章決定
1951(昭和26)年
2月26日 第3回卒業式 はじめて男子生徒が卒業
3月25日 生野高校が生野校舎に復帰
5月28日 勝山高等学校校歌制定
10月23日 創立30周年記念式典挙行
1952(昭和27)年
2月22日 定時制課程の併設決定(定員100名)
5月 修学旅行(女子のみ)
7月19日 校訓制定
1953(昭和28)年
5月 修学旅行(女子-関東、男子-北九州)=>1957(昭和32)年、第10期生まで男女別実施
1954(昭和29)年